最近の私、ChatGPTに手伝ってもらいながら、ブログの改修工事から社内システムの改善、新規アプリの開発など、これまで自分ではできないと思っていたことに色々と挑戦しています。
少し前までなら専門的な知識が必要だったことでも、今ではAIに相談しながら進めていけば、ある程度のところまで形にできるようになりました。
本当に便利な時代になったものです。
世の中でも「分からないことはAIに聞けばいい」「英語が分からなくても翻訳サービスがある」「専門知識がなくてもAIが作ってくれる」なんて話をよく耳にします。
実際、現在世の中に存在するサービスを活用すれば、かなり多くのことが解決できるようになっていると思います。
でも、最近色々と挑戦している中で、つくづく感じることがあるんですよね。
「やっぱり勉強してないとダメだって・・・」
今日はそんなお話です。
英語が読めないだけで何十分も無駄にする
具体的な例として、現在私が取り組んでいる新規アプリの開発があります。
私が使っているスマホはAndroidなので、Android向けのアプリを開発するためのソフトをパソコンにインストールしました。
ところがこのソフト、日本語に対応していないんですよね。
画面に表示される説明も、設定項目も、エラーメッセージも基本的には英語です。
もちろん今の時代、英語が読めなくても何とかなります。
文章をコピーしてGoogle翻訳にかけてもいいですし、スクリーンショットを撮ってAIに「これ何て書いてあるの?」と聞けば、ちゃんと日本語で教えてくれます。
さらに「どっちのボタンを押せばいい?」と聞けば、状況に応じた説明までしてくれるんです。
便利ですよね。
でも、ここで問題になるのが**「時間」**です。
例えば、英語がある程度読める人なら、画面に表示された内容を確認して「OK」を押すだけ。
ほんの数秒で終わる作業です。
ところが私の場合、何が書いてあるのか分からない。
そこでスクリーンショットを撮って、AIに画像を送って、説明してもらって、ようやくボタンを押す。
たったそれだけの作業に数分かかることもあります。
しかも、これが一度や二度ではないんです。
設定画面が変わるたびに同じことを繰り返す。
本来なら5分程度で終わるようなセットアップに、気が付けば1時間もかかっていたりします。
英語が読めないからといって、作業ができないわけではありません。
ただ、英語が読めないというだけで、何倍もの時間が必要になってしまうんです。
これって結構大きな差ですよね。
AIに指示するにも国語力が必要
では、英語さえできればいいのか?
もちろんそんなことはありません。
AIを使っていると、今度は国語力の重要性を感じる場面が出てきます。
私がアプリやシステムを作っているとき、基本的にはプログラムを自分で書いているわけではありません。
「こんなことができるようにしたい」
「このボタンを押したら、こういう動作をしてほしい」
「この場合はこう処理して、別の場合はこうしてほしい」
そんな希望を文章にしてAIに伝えています。
いわゆるプロンプトというものですね。
最近のAIは非常に優秀なので、多少説明が曖昧でも「恐らくこういう意味だろう」と推測してくれます。
でも、その推測が必ずしも正しいとは限りません。
こちらが伝えたかった内容と、AIが理解した内容が微妙に違っていることもあります。
もっと困るのが、**「自分では説明したつもりなのに、肝心な部分が全く伝わっていなかった」**という場合です。
出来上がったものを確認してみると、
「あれ?そういう意味じゃなかったんだけど・・・」
なんてことが結構あります。
そこから改めて説明して、修正してもらって、また確認する。
場合によっては、最初から作り直した方が早いなんてことも。
これも結局、最初の段階で自分の考えを正確に文章化できていれば、防げたかもしれない問題なんですよね。
AIがどれだけ賢くなっても、こちらの頭の中にある考えを100%読み取ってくれるわけではありません。
自分の考えを整理して、相手に誤解なく伝える。
学校で習ってきた国語の力って、こういうところでも必要になるんだな~と感じています。
数学が分からなければ間違いにも気付けない
そして、社内システムの改善を進めているときには、数学の重要性も感じます。
例えば、仕事で使用するExcelの計算式。
AIに「こういう計算をしたい」と伝えれば、それらしい数式を作ってくれます。
実際、かなり便利ですし、自分で一から数式を考えるよりも圧倒的に早い場面もあります。
でも、出来上がったものが必ず正しいとは限りません。
「いや、そこを計算に含めちゃダメでしょ」
「ここの単位を揃えないと数字がおかしくなるよね?」
「この条件のときだけ計算方法を変えないといけないんだけど・・・」
そんな場面も出てきます。
私の場合、日頃から仕事で数量計算や見積りをしているので、ある程度は間違いに気付くことができます。
でも、もし計算の仕組み自体を理解していなかったら?
AIが提示した計算式を、そのまま正しいものとして使ってしまうかもしれません。
しかも怖いのが、**「間違っていることにすら気付かない」**という可能性です。
AIが答えを出してくれるからといって、答えの意味を理解する必要がなくなるわけではありません。
むしろ、AIが作ったものを正しく評価するためにも、最低限の知識が必要になってくるんですよね。
知識がなくてもできる。でも時間は同じじゃない
ここまで英語・国語・数学と、学校で勉強してきたような内容を例に挙げてみました。
ただ、誤解してほしくないのは、これらができなければAIを使えないと言いたいわけではありません。
むしろ逆です。
今の時代、分からないことがあっても、AIや様々なサービスを使えば解決できる可能性は十分にあります。
私自身、プログラミングの専門知識なんてほとんどありません。
それでも、AIに手伝ってもらいながら、実際に動くアプリや社内システムを作るところまで来ています。
以前なら、そもそも挑戦することすら考えなかったでしょう。
ですので、技術の進歩によって挑戦できる人が増えたというのは、本当に素晴らしいことだと思っています。
ただし、ここで忘れてはいけないのが、
「できるようになったこと」と「効率よくできること」は別問題
ということです。
知識がある人なら10分で終わる作業でも、知識がない人は調べながら1時間かけて進めることになる。
それが何十回、何百回と繰り返されれば、最終的にはとんでもない時間の差になってしまいます。
そして、その時間の差は、AIがどれだけ進化しても完全には埋まらないのではないかと思うんです。
堀井雄二さんが30分でゲームを作ったという話
先日、ドラゴンクエストの生みの親として知られる堀井雄二さんが、AIを使って30分ほどで短編ゲームを作ったというニュースを目にしました。
どこからどこまでを30分としているのか、細かな制作条件までは分かりません。
ただ、この話を聞いて私が思ったのは、やはりこれまで積み重ねてきた知識や経験の差です。
堀井雄二さんといえば、長年ゲーム制作に携わってこられた方。
ゲームを作るために何が必要なのか。
どういう仕組みにすれば面白くなるのか。
どんな指示をすれば希望するものが出来上がるのか。
そういったことを、これまでの経験から理解されているはずです。
今回は、その経験も一つの「勉強」として考えてみましょう。
必要な知識が頭の中にあるからこそ、最初から精度の高い指示ができる。
出来上がったものを確認するときにも、どこをチェックすればいいのか判断できる。
だからこそ、短時間で形にすることができるのでしょう。
一方、私が同じことをやろうとしたらどうなるか。
「ゲームを作るには、まず何から始めればいいんだっけ?」
恐らく、こんなところからスタートです。
「どんなソフトを使うの?」
「どうやって動かすの?」
「出来上がったものはどうやって確認するの?」
そんなことをAIに質問しているだけで、30分なんてあっという間に過ぎてしまいそうです。
そこから実際に制作を始めて、エラーが出て、修正して、またエラーが出て・・・。
完成するまで何日かかることやら。
もちろん、堀井雄二さんと私では、これまで携わってきた分野も経験も違います。
単純に比較するような話ではありません。
それでも、同じAIという道具を使っていても、使う人間が持っている知識や経験によって、これだけ結果に差が出る可能性があるということなんですよね。
AIが進化しても、人間の能力が不要になるわけじゃない
AIが登場してから、専門的な知識がなくてもできることは確実に増えました。
そして今後も、さらに多くのことができるようになっていくのでしょう。
ただ、だからといって人間が何も知らなくていいという話にはならないと思うんです。
むしろ、AIができることが増えれば増えるほど、それを使う人間の能力によって差が広がる部分もあるのではないでしょうか。
例えば、同じAIを使って1時間作業したとしても、
知識がある人は、その1時間で一つの成果物を完成させる。
知識がない人は、その1時間で操作方法を理解するところまでしか進めない。
もちろん、後者も確実に前進しています。
でも、同じ1時間を使っていることに変わりはありません。
そして、私たち人間に与えられている時間は有限です。
1日24時間という条件は、誰にとっても変わりません。
どれだけ便利なサービスが登場しても、分からないことを一つずつ調べている時間が必要なら、その分だけ他のことに使える時間は減ってしまいます。
AIによって「できることの差」は小さくなっても、「そこに到達するまでの時間の差」は残ってしまう。
最近の私は、まさにこの部分を痛感しています。
やっぱり若いうちに勉強しておくべきだった・・・
こうして考えると、学生時代に勉強していたことって、決して無駄ではなかったんですよね。
当時は、
「こんな勉強、社会に出て何の役に立つんだ?」
なんて思っていたこともありました。
でも、英語が少し読めるだけで作業が早くなる。
国語力があれば、自分の考えを正確に伝えられる。
数学を理解していれば、出来上がったものが正しいか判断できる。
今になって、そんな当たり前のことを実感しています。
もちろん、学校の勉強だけがすべてではありません。
社会に出てから仕事を通じて学んだことも、今の私にとっては大きな財産になっています。
実際、内装工事に関する知識があるからこそ、AIに何を作ってもらいたいのかを具体的に伝えることができていますし、出来上がったものが実務で使えるかどうかも判断できます。
逆に言えば、そういった経験がなければ、今取り組んでいる社内システムの改善も難しかったでしょう。
だからこそ、勉強というのは学校を卒業したら終わりというものでもないんでしょうね。
今からでも学ぶことはできますし、実際に私も新しいことを覚えながら挑戦しています。
ただ、やっぱり若いうちに基礎的なことをもっと勉強しておけば、今の挑戦もずっと効率よく進められたんだろうな~とは思います。
AIが何でも教えてくれる時代になりました。
でも、何でも教えてもらえるから勉強しなくていいというわけではありません。
知識がなくても挑戦できる時代になったからこそ、知識を持っている人は、さらに多くのことに挑戦できる。
そして、その差を生み出しているものの一つが、限られた時間をどれだけ有効に使えるかということなのでしょう。
「勉強なんてしなくても、AIが何でもやってくれるから大丈夫!」
そんな考え方をしていると、後になって私と同じように苦労することになるかもしれません。
まぁ、そんなことを言っている私自身が、今まさに苦労している真っ最中なんですけどね・・・。
やっぱり若いうちに、もう少し勉強しておくべきでしたね・・・。