私、子供がいるわけではないので、普段「夏休みの宿題終わったか?」なんて聞く機会はありません。
そもそも今の子供たちは、夏休みが8月31日までとは限らないでしょうし、昔とは学校のスケジュールも随分違います。
それどころか、
「学校の宿題なんてサッサと終わらせて、塾の宿題やらないと!」
なんて子も多いのかもしれません。
では、実際のところどうなんでしょう?
宿題、終わったかい?
今夜はちょうど日本テレビの「24時間テレビ」が放送されています。
この番組、もちろんチャリティーを目的とした番組です。
ただ、学生時代の私にとっては少し違いました。
「24時間、宿題を終わらせる間にずっとやってるテレビ」
という印象なんです。
夏休みも残りわずか。
机の上には、まだ終わっていない宿題。
そんな状態でテレビをつけると、24時間テレビがやっている。
今みたいにYouTubeもありませんし、動画配信サービスもありません。テレビ番組だって深夜になれば終わります。
そんな時代に、一晩中テレビをつけていられる24時間テレビは、夏休み最後の追い込みをしている私にとって、ある意味「宿題のお供」だったんですよね。
番組に出ている人だけが24時間戦っているわけではありません。
テレビの前にも、
「宿題が終わらねぇ!!!」
と戦っている子供がいたんです。
少なくとも私は戦っていました。
そして24時間テレビといえば「サライ」。
今でも番組のテーマソングとして歌われていますが、私にとっては、
「私が宿題をやっている時に完成した曲」
という記憶でもあります。
当時はチャリティーマラソンで間寛平さんがよく走っていた印象があります。
そして「サライ」の翌年に発売されたZARDの「負けないで」。
マラソンも残り10kmくらいになってくると、何度も何度も流れていた記憶があります。
ランナーに向けて、
「負けないで!」
と応援している。
そしてテレビの前の私は、
「こっちは宿題に負けそうなんですけど!!!」
という状態。
今となっては笑い話ですが、あの番組を見ると夏休みの終わりを感じるのは、そんな記憶が残っているからなのかもしれません。
今考えると「サライ」って、とんでもない企画だった
そして大人になった今、改めて考えるとすごいと思うことがあります。
「サライ」が作られた当時です。
当然ですがAIなんてありません。
スマホもありません。
SNSもありません。
一般家庭にインターネットが当たり前にある時代ですらありません。
番組の企画として全国から電話やFAXなどを通じて歌詞になる言葉を募集する。
それを人間が集める。
整理する。
歌詞としてまとめる。
そこから曲を作る。
そして番組内で披露する。
しかも、それが30年以上経った今でも歌われ続ける曲になった。
考えてみると、とんでもないことをやっています。
今ならどうでしょう。
SNSで「歌詞に入れたい言葉を募集します!」と呼びかければ、一瞬で全国から言葉が集まります。
それをAIに読み込ませて、
「この言葉を使って感動的な歌詞を作って」
とお願いする。
さらにAIに曲を付けてもらい、歌わせて、映像まで生成する。
技術的には、昔なら24時間かけて大勢の人がやっていたことを、極端な話、1時間もかからず形にできる時代になりました。
これはものすごい進歩です。
私自身もAIを使いますし、便利なものはどんどん使えばいいと思っています。
ただ一方で、**便利になったからこそ失われるものもあるんじゃないかな?**とも思います。
たくさんの人から言葉を集めて、人間が悩んで、人間が選んで、人間が曲を作る。
完成するかどうかも分からないものを、テレビの前の人たちが一緒に待っている。
その過程まで含めて「作品」だったんでしょうね。
だからこそ、完成した瞬間を見ていた私の中にも、
「宿題をやりながら見ていたなぁ」
なんて30年以上経っても記憶が残っているのでしょう。
AIに同じことを頼めば、もっと速く、もっと効率的に、それなりに完成度の高いものを作ってくれるかもしれません。
でも、効率が良いことと、記憶に残ることは同じではない。
そこは、これからの時代だからこそ大切になる気がします。
AIが人間で、人間がロボットにならないように
AIがどんどん賢くなっています。
文章を書いてくれる。
絵を描いてくれる。
音楽を作ってくれる。
動画まで作ってくれる。
調べ物もしてくれるし、計算もしてくれる。
そのうち、
「人間は何するの?」
というところまで来るのかもしれません。
でもAIが発達する一方で、それを使う人間まで考えることをやめてしまったら、ちょっと怖い。
AIが考えて、人間が言われた通りに動く。
AIが人間で、人間がロボット。
そんな世界になったら、便利ではあってもなんだか嫌ですよね。
だからこそ、今の子供たちにも「宿題を自分でやる」という時間は案外大切なのかもしれません。
AIに聞けば答えが出る。
検索すれば何でも分かる。
それでも自分で考えて、自分で間違えて、自分なりの答えを出してみる。
宿題そのものが将来役立つかどうかだけではなく、自分の頭を使って答えまでたどり着く練習と考えれば、AI全盛の時代だからこそ意味があるようにも思います。
もっとも、学生時代の私にそんな立派な考えはありません。
ただただ、
「明日までに終わらせないとヤバい!!!」
と思いながら24時間テレビを見ていただけです。
今の子供たちはどうなんでしょうね。
24時間テレビを見ながら必死に宿題をやっている子なんて、もう少ないのかな?
それとも今夜も日本のどこかで、
「負けないで」が流れる頃に、
「こっちは負けそうなんだよ!!」
と言いながら宿題と戦っている子がいるのでしょうか。
いるんだったら、オジサンから一言。
宿題、頑張れ。終われば夏休みは終わっても、地獄は終わるぞ。
追伸 キャッシュレス時代の小銭、募金するのもアリかも
もう一つ、24時間テレビを見ながら思ったことがあります。
最近、本当に現金を使わなくなりました。
キャッシュレス決済が増えて、財布から小銭を出す機会がめっきり減りました。
その結果、家には昔から貯まった1円玉や5円玉が結構残っています。
ところが今は、大量の硬貨を銀行に持って行けば枚数によって手数料がかかる時代。
小銭をお札に替えようとしたら、手数料でかなり持っていかれるなんてこともあります。
かといって、1円玉や5円玉を何百枚も持って買い物へ行くわけにもいきません。
だったら、
こういう機会に募金してしまうのも一つの使い道なんじゃないかな?
と思いました。
キャッシュレスというデジタル化によって、使い道を失いつつある昔ながらの「小銭」。
それを昔から続いているチャリティー番組をきっかけに寄付する。
なんだか今日の記事の話にもつながっている気がします。
AIやデジタルによって便利になったものは、ありがたく使えばいい。
でも昔から続いてきたものを全部「非効率だから」と捨てる必要もない。
古いものには古いものなりの良さがあるし、そこから生まれる思い出や人とのつながりもあります。
新しいものを使いながら、古いものの良さも知っている。
そんな人間でいられたらいいのかもしれません。
さて。
家にある1円玉と5円玉、どのくらいあったかな。
明日、寄付できるところを探して持って行ってみようかな……。