何やら最近、
「労働時間規制を緩和すべきだ」「いや、さらに厳しくすべきだ」
といった議論があちこちで聞こえてきます。
ちょうど今は受験シーズン。
今日は受験生と社会人を重ね合わせて、労働時間について考えてみたいと思います。
■ 労働は「時間」で規制すべきなのか?
私のスタンスははっきりしています。
労働は「時間」で規制するべきではないと思っています。
なぜなら、会社員の定時労働というのは、学生で言えば学校の授業時間に相当するからです。
- 学校の授業
- 放課後の自学自習
- 塾・家庭教師・習い事
学生は、成果を出したければ時間外でいくらでも学ぶことが許されています。
「良い大学に行きたければ勉強しろ」
これは昔から当たり前のように言われてきました。
■ 受験生は、学習時間を規制されているか?
受験生に「学校以外でどれくらい勉強している?」と聞けば、
- 3時間の人もいれば
- 8時間やそれ以上の人もいる
目指す大学のレベルが高くなればなるほど、必要な学習時間も増えます。
しかも、
- 学習の吸収力
- 通っている学校のレベル
- 勉強のやり方・効率
これらによっても結果は大きく変わります。
一流校に通っていても堕落していれば結果は出ませんし、
環境が厳しくても、効率よく努力した人が上に行くこともある。
学生の世界は、極めて成果主義です。
■ 社会人も本来は同じ構造のはず
社会人も本来は同じです。
- 同じ仕事でも1週間かかる人
- 3日で終わらせる人
- やる気がなければ1カ月経っても終わらない人
差は確実に存在します。
もし学生がこの社会人と同じ状態なら、
- 一流大学に行く人
- Fラン大学に行く人
- 留年する人
が自然に分かれます。
それでも学生は「成果が出るかどうか」で評価されます。
■ 社会人のほうが、実は恵まれている?
むしろ社会人は、
- 成果を出していなくても
- とりあえず時間を出せば
賃金が必ず支払われるという点で、学生より恵まれています。
にもかかわらず、社会に出た途端にこう言われます。
- 「これ以上働くな」
- 「残業は禁止」
- 「成果を出したくても時間的に無理」
頑張ろうとすればするほど、規制に引っかかる。
■ 頑張る場所が「会社の外」になる矛盾
結果どうなるか。
- もっとやりたければ副業
- 休日に勝手にリスキリング
- 会社外で成果を作らないと評価されない
「就職したはずの会社以外で努力しろ」という、
どこか歪な構造が生まれています。
■ 本当に必要なのは「成果で評価する仕組み」
必要なのは、
- 労働時間で管理する制度
ではなく - 成果で評価する制度
もちろん、働き過ぎを防ぐ最低限のセーフティは必要です。
しかし今の日本は、時間で縛りすぎている。
- 時間で評価されるから
- やらない方が得
- 出来る人ほど損
そんな空気が生まれてしまう。
これでは生産性も上がらず、やりがいも生まれません。
■ 学生にできて、社会人にできない理由はない
これまで、
- 規制なく勉強し
- 努力がそのまま評価され
- 結果で進路が決まってきた
そんな学生たちを、
社会に出た瞬間に規制まみれの制度で縛るのはおかしい。
勉強すれば評価される学生と同じように、
仕事をすれば評価される社会人へ。
労働を縛るのではなく、
「やった人が正当に評価される社会」を
本気で推進する制度に変えていくべきだと思います。