秋がどこ行ったの?というほど、夏が終わると一気に冷え込み、まるで冬が突然やってきたかのような気温になってきました。
街を見渡せば、つい先週まで半袖だった人たちが一気に冬服にチェンジ。そんな中で、会社の女性とのやり取りがありました。
「寒くなって厚着したのは分かるけど、その丈の短い服じゃ寒くない?」
と私。
「あのね、クロスさん。オシャレって知ってる?寒いとかそんな問題じゃないのよ」
と、すかさず返されました。
なるほど、確かに正論です。
衣服の本来の役割は「体温調節」「衛生管理」「身体の保護」。
つまり寒さ対策としては、丈の長いものを着る、重ね着する——これが合理的な答えです。
でもその“合理性”こそが、どうやら「オジサン」らしいのです。
■ 合理的に生きる=オシャレを捨てる?
私は日常生活でも「無駄を省く」ことを意識して生きてきました。
服装に悩む時間がもったいないので、基本は“同じ服・同じ色・同じ形”。
下着に至ってはユニクロなどでまとめ買いして、全て同じもの。
朝起きて「今日は何を着よう?」と悩む時間をゼロにしています。
仕事でも動きがルーティン化しており、同じ時間に出社・同じ順番で現場確認・同じルートで帰社。
そうすることで思考の負担を減らし、重要な判断に集中できるようにしています。
――が、最近気づいたんです。
この「効率化」「合理化」こそが、若い女性から見ると“オジサンっぽさ”の象徴らしいのです。
■ “合理性”と“オシャレ”は真逆のベクトル
オシャレというのは、ある意味で「非効率の象徴」なのかもしれません。
わざわざ季節に逆らって薄着をしたり、歩きづらい靴を履いたり、メンテナンスが面倒な服を着たり。
でもその「非合理的なこだわり」こそが、ファッションの本質であり、個性の演出でもあるのだと感じます。
私のように「寒いから長い服」「同じ服で十分」と考えるのは、理屈としては正しい。
けれど、感覚としての“楽しさ”や“遊び心”を忘れてしまうと、どうしても“おじさん化”してしまうのかもしれません。
■ ルーティンの中に、変化を入れてみる
日々の生活や仕事のルーティンは大切ですが、
あまりにも同じ行動を繰り返すと、刺激がなくなり、感性が鈍っていきます。
その結果、合理的な判断ばかりが優先され、感情的な豊かさが薄れてしまう。
「たまには違う服を着る」「普段と違う色を選ぶ」
「別の道で帰ってみる」「新しい店に入ってみる」
そうした小さな変化を取り入れるだけでも、感覚がリセットされる気がします。
効率を重視する人生も良いけれど、
“非効率な時間”の中にこそ、若々しさや柔軟な発想が生まれるのかもしれません。
■ 合理的=オジサン、ではなく“賢く遊ぶ大人”へ
合理的に考えることは決して悪いことではありません。
むしろ、無駄を省き、時間を大切にするのは大人としての成長でもあります。
ただ、そこに少しだけ「遊び」を加える。
その余白こそが“オジサン”と“余裕のある大人”を分ける境界なのかもしれません。
これからの季節、どうせ寒いなら少しだけオシャレしてみる。
そして、非合理なことを少しだけ楽しむ。
そんな心の余裕を持って、40代の冬を迎えていこうと思います。