うちの職人さんではないのですが、普段付き合いのある他社の社員職人さんに、最近こんな話があったそうです。
「○○君!いつもうちの仕事に来てくれてありがとう。お客さんからの評判も凄くいいし、もう独立して一人でやったらいいのに。うちの仕事全部あげるからそうしたら?」
というような話。
この人が特別なのではなく、建設業にいるとごくごく普通に聞く話なんですよね。
本人からしてみても、かなり評価してもらえていて、なおかつ「仕事は全部回してあげる」と言われるわけですから、とてもありがたいお話です。
会社員として働いていれば、当然会社にも経費や利益が必要になります。
悪い言い方をすれば「会社に取られている」と感じていた部分も、独立すれば表面上はすべて自分の売上になります。
一方、元請け側から見てもメリットがあります。
いい仕事をしてくれる職人さんを、専属職人に近い形で囲い込める。
しかも自社で雇用するわけではありません。
元請けと独立する職人さん。
一見するとWin-Winの関係です。
困るのは、その社員職人さんが元々所属していた会社くらいでしょう。
取引していた会社が一社減ったうえに、いい仕事のできる社員まで一人減る。
もうデメリットしかありませんね。
ただ。
この「独立したら?」という甘い話。
一つ?いや、いっぱい?注意しておかないといけないことがあります。
「全部自分で責任負えますか?」
まず大前提として、独立するということは「事業主」になるということです。
職人さんで多いのは、一人親方として個人事業主になる形でしょう。
これまで会社員だった時には会社がやってくれていたことを、今度は自分で考えなければなりません。
その一つが保険です。
会社員として働いていた時とは労災保険などの扱いも変わります。
一人親方などには「労災保険の特別加入」という制度がありますが、自分で加入について考える必要があります。
建設現場では元請け側のルールとして、必要な保険等への加入を求められることもあります。
「自分は絶対ケガしないから大丈夫」
そう思っていても、建設現場で絶対なんてありません。
さらに、仕事ができなくなった時の収入や将来の生活についても、自分で備えていかなければなりません。
個人事業主などが将来の退職金代わりとして利用できる小規模企業共済などの制度もあります。
つまり会社員時代にはあまり意識していなかった「もしもの時」や「仕事を辞めた後」まで、自分で考える必要が出てくるわけです。
自分がケガするだけではありません
さらに怖いのは、自分自身のケガだけではありません。
仕事をしていれば、物を壊してしまう可能性もあります。
水回りの工事などでしたら、誤って水道管を破損させてしまうことだってあるでしょう。
一戸建てで、そのお宅だけの被害ならまだ対応できるかもしれません。
しかしアパートやマンションで漏水させてしまい、下の階、そのまた下の階まで被害が出たら?
内装、家具、家電。
場合によっては、とても個人で簡単に払える金額ではなくなる可能性があります。
そのために工事保険や請負業者賠償責任保険など、自分の仕事に合った保険を考える必要も出てきます。
こういう部分って、会社員として職人だけやっているとなかなか見えないんですよね。
何かあった時には会社の誰かが対応してくれていた。
独立した瞬間、その「誰か」が自分になります。
「仕事全部あげるよ」は、本当に全部ある?
そしてもう一つ。
「うちの仕事を全部あげるよ」
この言葉にも注意が必要です。
一年365日のうち、何日働きますか?
個人でやるんだからバリバリ働いて、年間300日働こう!
そう考えていたとしても、元請けさんが年間150日分の仕事しか持っていなかったらどうでしょう。
残り150日分は、自分で仕事を探さなければなりません。
もちろん150日働くだけで一年生活できるくらいの金額を出してくれるなら、それでもいいんですけどね。
さらに、その元請けさんがこの先も同じだけの仕事を持っている保証もありません。
去年は300日分の仕事をくれた。
では今年は?
来年は?
再来年は?
未来の仕事なんて誰にも分かりません。
これまで業績が安定しているように見えた企業でも、ある日突然「倒産した」なんて出来事は、私らでも実際に経験しています。
一社だけに頼った状態での独立は、そこが止まった瞬間に自分の売上まで止まるということです。
10年後も同じ関係でいられますか?
今回聞いた話は、30代の職人さんに対して、60歳前くらいの元請けさんから出た話でした。
今はいいんです。
では10年後は?
独立した職人さんは40代。
その元請けさんは70歳前後になります。
その会社は同じ形で営業を続けているでしょうか?
同じ担当者が仕事を回してくれるでしょうか?
会社自体は残っていても、世代交代して方針が変わっている可能性だってあります。
だから一社だけに頼らず、自分で新しい取引先を開拓しよう。
当然そう考えると思います。
でも、そこにもまた問題が出てきます。
仕事を増やしたら、今度は工程がぶつかります
新しい取引先を開拓して仕事が増えた。
これは事業として考えればいいことです。
ところが、元々「全部仕事をあげる」と言ってくれていた元請けさんの現場と、新しい取引先の現場が重なりました。
どちらに行きますか?
新しい取引先を優先すれば、
「独立する時にあれだけ仕事を回してやったのに、なんでうちに来ないんだ?」
なんて言われるかもしれません。
では代わりの職人さんを探して行ってもらう?
その人がミスをしてクレームになったら?
元請けさんから見れば「あなたに頼んだ仕事」です。
逆に元請けさんが、代わりに来た職人さんを気に入って、
「君も独立したら?うちの仕事全部あげるよ」
なんて同じ話をするかもしれません。
今度は自分の仕事が減る側になる可能性だってあります。
こういう工程や人の調整も、独立すれば自分の仕事になります。
現場管理する立場って、こういうトラブルが起こらないように日々調整しています。
職人として腕がいいことと、仕事を回すことが上手いことは、また別の能力なんですよね。
税金や年金も「見える化」します
そして独立すると、これまであまり意識していなかったお金も見えるようになります。
会社員なら給与から税金や社会保険料などが差し引かれています。
手取りだけ見ていると意識しにくいですが、個人事業主になれば自分で納税や社会保険料の支払いなどを管理することになります。
売上がそのまま自分のお金になるわけではありません。
材料代、工具代、車両費、燃料代、保険、税金、社会保険料。
さらに仕事が途切れた時や、ケガをして働けなくなった時のためのお金。
会社員から独立した場合、厚生年金から国民年金へ変わるケースも一般的です。
そのため、小規模企業共済やiDeCoなどを使って、将来のための資金を自分で準備していく人もいるでしょう。
売上だけを見れば、
「会社員の時よりこんなに稼げる!」
と思うかもしれません。
でも本当に比較しないといけないのは「売上」と「給料」ではないんですよね。
会社がこれまで負担してくれていたもの、自分で負担するもの、仕事が無い期間のリスクまで含めて考えないと、本当に独立した方が収入が増えたのかは分かりません。
独立するなと言いたいわけではありません
なんだかリスクの話ばかりになってしまいました。
でも、私は別に「独立するな」と言いたいわけではありません。
自分で仕事を取って、自分で予定を組んで、自分の腕で稼ぐ。
上手くいけば会社員だった時以上の収入を得ることもできるでしょうし、自分の裁量で仕事を選べる自由もあります。
職人として独立すること自体は、十分選択肢の一つだと思います。
ただ、
「仕事全部あげるよ」
「今より稼げるよ」
「独立した方が得だよ」
という目の前の甘い部分だけで決めてしまうのは、ちょっと怖い。
会社員の時に会社が取っていたお金が自分に入ってくる代わりに、会社が背負っていた責任も自分のところへやってきます。
職人として仕事ができる。
それだけではなく、
仕事を取る。
工程を組む。
人を手配する。
請求する。
税金を払う。
保険を考える。
トラブルに対応する。
将来に備える。
そこまで全部含めて「独立」なんですよね。
もし「独立したら?仕事全部あげるよ」と言われたなら、その言葉だけで決めるのではなく、
「その仕事が無くなっても、自分一人で事業を続けられるか?」
そこまで一度考えてみてからでも、遅くはないんじゃないでしょうか。
独立するということは、会社から自由になることでもあります。
同時に、
これまで会社が背負ってくれていた責任まで、自分で背負うということです。
その覚悟と準備ができてから独立しても、決して遅くないと思います。