気が付けば今晩、というか正確には明日の明け方から、ミラノ・コルティナオリンピックが始まります。
それと同時期にプロ野球はキャンプイン。
Jリーグは春秋制から秋春制へ移行するための特別リーグ。
さらに夏には北中米ワールドカップも控えています。
冷静に並べてみると、これだけでも「スポーツ好きにとっては忙しい年」どころか、むしろ贅沢な一年のはずなんですよね。
日頃からスポーツ好きを自称している私としては、本来なら年始からワクワクして情報を追いかけているはず。
ところが不思議なことに、今回はまったくと言っていいほど心が動いていません。
嫌いになったわけでも、興味がなくなったわけでもない。
なのに「気にならない」。
この違和感が、ずっと引っかかっていました。
興味関心は「自分で決めているようで、実は環境に左右されている」
まず一つ目の理由は、かなり分かりやすいところにあります。
ネット環境です。
私の場合、ここ最近は政治や経済、為替や株、制度変更といった情報を追う時間が明らかに増えています。
そうなると当然、検索履歴や閲覧傾向に引っ張られて、表示されるニュースもそちら寄りになる。
スマホを開いても、PCを立ち上げても、
目に入るのは「政策」「選挙」「金利」「物価」「為替」。
スポーツの記事がゼロになるわけではありませんが、優先順位はかなり下がります。
結果として「目に触れない → 意識しない → 気にならない」という流れが出来上がってしまう。
興味って、自分の中に自然発生しているようで、実は触れる回数によって育てられているものなんだなと改めて感じます。
スポーツは「誰かと話す」ことで存在感が増す
もう一つの理由は、もう少し感覚的なものです。
以前は、仕事で日常的に接する相手の中に、かなりのスポーツ好きがいました。
野球の話、サッカーの話、代表戦の話、オリンピックの話。
別に深い議論をするわけでもなく、
「昨日の試合見た?」
「今の代表どう思う?」
そんな軽いやり取りです。
でも、これがあるか無いかで、スポーツとの距離感は驚くほど変わります。
その人が退職して会う機会がなくなったことで、
スポーツの話をする相手が、私の身の回りからいなくなりました。
話題にする相手がいない
→ 情報を仕入れる必要がない
→ 結果として追わなくなる
かなり単純な話ですが、これが意外と大きい。
見る側のスポーツって「一人で完結する趣味」でもありますが、
同時に「共有することで価値が増すコンテンツ」でもあるんですよね。
「スポーツの季節」は昔より静かになった?
もう一つ感じるのが、世の中全体の空気感です。
昔は、オリンピックやワールドカップが近づくと、
テレビもラジオも、嫌でもスポーツ一色になっていました。
今はどうか。
テレビを見ても、スポーツコーナーはニュースの一部。
しかも時間は短く、深掘りはほぼ無し。
ネットでは確かに情報は山ほどありますが、
自分から探しに行かないと入ってこない。
つまり、
「勝手に盛り上がってくれる時代」ではなくなった
ということなんでしょう。
興味関心は「年齢」とともに移動する
これも正直に書いておきたいところですが、
年齢による関心の移動も、確実にあります。
若い頃は、
・勝ち負け
・スーパープレー
・ヒーローの存在
こういったものに素直に熱狂できました。
今はどうかというと、
・制度
・背景
・経済効果
・運営の仕組み
そういう部分に目が行きがちです。
スポーツを「純粋な娯楽」として見るより、
「社会の一要素」として見てしまう。
これも、スポーツが感情的に入ってこなくなった一因かもしれません。
それでも「冬のオリンピック」は特別なイベント
とはいえ、冬のオリンピックは4年に一度。
これは間違いなく大きなイベントです。
自分の興味関心がどう変わろうと、
世界中のトップ選手が集まり、
限られた時間の中で結果を出す。
この構図自体は、今も昔も変わっていません。
だからこそ今回は、
「自然に入ってくるのを待つ」のではなく、
意識的に情報を取りに行こうと思っています。
無理に盛り上がる必要はない。
でも、距離を置きすぎるのも、少しもったいない。
興味関心は「失われた」のではなく「移動しただけ」
今回改めて感じたのはこれです。
スポーツへの興味が無くなったわけではない。
ただ、政治・経済・仕事・生活といった別の関心事に押されて、
優先順位が下がっていただけ。
そして、その順位は環境次第で、また簡単に入れ替わる。
スポーツの季節は、確かに今ここにあります。
問題は、それに自分が気付いているかどうか。
せっかくの4年に一度の祭典。
少しだけアンテナの向きを変えて、
もう一度「スポーツを見る側」に戻ってみようと思います。