「物価高で生活がままならない」「物が高すぎて破産する」
ここ数年、そんな言葉を耳にする機会がやたら増えました。
とはいえ、ふと昔と比べてみると「いや、そこまで言うほどじゃなくない?」と思う瞬間が結構あるんですよね。今日はそんな違和感を掘り下げてみます。
◆ 過去と現在で変わった“生活水準”の基準
まず大学生の生活レベルから見てみます。
今の大学生って、1Kでも風呂トイレ別・オートロック付き・室内洗濯機置き場完備…みたいなアパートが“普通”。
ちょっと古めの物件でも「そんな部屋住めませんよ〜」って返事が来る。
私の大学時代なんて、
6畳一間・風呂トイレ共同・家賃1万円台
というのがリアルなラインでした。それでも「まぁこんなもんだよね」って感覚。
物価は上がったと言っても、この手のボロい部屋はそこまで価格上昇してないはず。でも今の子たちはそこを“選択肢”に入れない。それでも大学に行けているということは、
「最低生活費の基準そのものが上がってしまった」
と言わざるを得ません。
特に学生の生活費って、親の支援比率が高いです。
「落とせるはずの生活水準を落とさずに進学できる」
これは昔より“余裕がある環境”とも言えます。
◆ 冬が暖かくなったのに、暖房は昔より使う謎
家庭の生活でも同じことを感じます。
夏が猛烈に暑くなった反面、冬の寒さは昔より確実に緩んでいる。
私の地域なんか昔は11月末には雪が降っていましたが、今は年明けまで降らない年もザラ。
つまり、
昔より暖房コストは減るはず。
さらにユニクロのヒートテックや高機能インナーのおかげで、
「着込めばしのげる冬」
になっている。
それなのに、現代ではちょっと寒くなるとすぐエアコンON。
「省エネなのに暖房費が減らない」なんて家庭が多いのは、
生活水準を“落とせない文化”そのものが原因
なんじゃないかと思います。
◆ スマホは現代の“必需品”という名の贅沢品
子供のスマホ事情も昔と全然違います。
昔:
- 早くて中学生でポケベル
- 高校でようやくPHSか持てる家では携帯
- 携帯なんて社会人が使うもの
今:
小学生でスマホを持つのが普通。
中学生の普及率8割・高校生9割超。
本体価格は昔の数倍。
通信費も本来は高い。
それでも各社が学割を出して安く“見えるように”しているから、抵抗なく持たせてしまう。
でもこれって突き詰めると、
本来は“贅沢品”に分類されるものを当たり前として組み込んでいるだけ。
本当にお金がないなら、
「スマホはいらない」「格安の部屋で十分」「暖房は最低限」
になるはずですが、現代ではそれらを切らない。
つまり現代の貧乏は、
「必要なものが高くて貧乏」ではなく
“生活レベルを下げない”せいで貧乏になっている部分が大きい。
◆ 昔の貧乏は“実質的に危険”。今の貧乏は“贅沢ができない”。
昔の貧乏はもっと深刻でした。
- 給料日まで千円で生き延びる
- 米が尽きたらガチで食うものがない
- 冬は布団にくるまって暖を取るしかない
- 大学進学なんて裕福な家庭が行くもの
“生命の安全ラインがギリギリ”というイメージ。
一方、今の貧乏はこうです。
- 贅沢はできない
- 外食が減る
- スマホの機種が最新じゃない
- エアコンを気にしながら使う
昔とは次元が違う。
生活保護の支給額も、子供がいる家庭ならかなり手厚い。
むしろ「大人になった瞬間、生活保護額が減ってしんどい」なんて声すらある。
これが示すのは、
現代の“貧乏”は生活水準の高さが基準になってしまった結果
ということ。
◆ 今の“経済的に辛い”の基準ってどこにある?
結局、今の貧乏は
「普通の生活はできるけど、贅沢までは無理」
という段階の話が多い気がします。
昔は
「普通の生活すらできない」
という状態がゴロゴロあった。
だからこそ、
現代の“お金がない”という言葉は、
生活水準をどこまで維持するか
によって大きく意味が変わってきます。
本気で生活が苦しい家ももちろんあります。
ただ、社会全体を見ると、
“貧乏の基準”が昔より大幅に上がった
のは間違いないでしょう。
◆ 最後に
昔と比べて物価高なのは事実。
でも、生活水準が異常に高くなった結果、
「落とすこと=貧乏に負けた気がする」
という心理が現代の貧困感を作っている部分は大いにあると思います。
あなたはどこが“生活の最低ライン”だと思いますか?