小学校の国語の授業。皆さん覚えていますか?
教科書に載っている物語を読んで、「この時の○○さんはどんな気持ちだったでしょう?」なんて質問に答えたり、テストでは長文を読んで「○○はなぜ△△したのでしょう?理由を書きなさい」なんて問題が出たり。
最近の小学校でどんな国語の授業が行われているのかは知りませんけど、私が子供の頃はそんな授業が当たり前でした。
文章に書かれている事実を理解するだけではなく、その文章の前後関係から登場人物の気持ちを想像したり、直接書かれていない理由を考えたり。
いわゆる「行間を読む」という能力を身につけるための授業でもあったんでしょうね。
でも最近、ふと思うことがあります。
今の大人たちって、あの頃の国語のテストをちゃんと解けるんでしょうか?
長い文章を読まなくなった現代人
最近、長文を読むことが苦手な人が増えているなんて話をよく耳にします。
何かを調べるにしても、文章で説明を読むより動画を見る。
普通の動画では長いから、短時間で結果が分かるショート動画を見る。
動画すら見るのが面倒なら、AIに要約してもらう。
最近では動画を1.5倍速や2倍速で視聴する人も珍しくありません。
映画やドラマですら倍速で見るという話もありますし、音楽でもイントロを飛ばしてサビから聴くなんて人もいるそうです。
そして文章に関しても、Xに投稿できる程度の文字数がちょうどいいなんて話まであります。
もちろん、こうした傾向がすべての人に当てはまるわけではありませんし、長文を読めない人が実際にどれだけ増えているのかは分かりません。
ただ、長い文章を読まなくても情報を得られる環境になったというのは間違いないでしょう。
私自身、ブログを書く時には1記事1,500文字以内くらいを目安にしようと思っていました。
でも最近では2,000文字を超えることも珍しくありません。
AIに文章の修正やチェックをしてもらっているのですが、
「今日の記事はいつもより長くなっていますが、もう少し短くなるように修正しましょうか?」
なんて言われる始末。
いやいや、長くなっているのには理由があるんですけどね・・・。
短くすれば本当に伝わるのか?
文章を短くまとめること自体は、それほど難しいことではありません。
余談を削る。
回り道している説明を省く。
同じような意味の文章をまとめる。
結論だけを先に書く。
こうすれば、2,000文字の記事を500文字程度にすることだってできるでしょう。
でも、書いている側としては、それだけで納得できない部分もあるんですよね。
例えば、何かに対して怒っている文章。
単純に「腹が立った」と書けば、それだけで感情は伝わります。
でも、なぜ腹が立ったのか?
その前にどんな出来事があって、どんなことを期待していて、どうして裏切られたと感じたのか?
そこまで書くことで、初めて読み手に伝わるものもあると思うんです。
また、私の場合は余談のように見える部分に、実は本当に伝えたいことを忍ばせている場合もあります。
一見すると関係のない話をしているようでも、後から振り返れば「あぁ、だから最初にあの話をしていたのか」と気付いてもらえるような書き方ですね。
もちろん、単純に私の文章構成が下手で、無駄に長くなっていることもあるでしょうけど(笑)
ただ、文章を短くすることと、文章の意味を正確に伝えることは、必ずしも同じではないと思っています。
AIは文章の裏側まで読み取ってくれるのか?
最近では長い文章をAIに要約してもらう人も増えています。
これは本当に便利な機能です。
何千文字もある文章を数行にまとめてくれますし、重要そうな部分を抜き出してくれるので、短時間で概要を把握できます。
でも、ここで気になることがあります。
AIが重要だと判断した部分と、書き手が本当に伝えたかった部分は同じなのでしょうか?
私自身、AIにブログの編集を手伝ってもらっているので、時々こういうことが起こります。
「いやいや、そこを削っちゃダメでしょ!」
私としては重要な意味を持たせて書いた一文なのに、AIからすると余分な説明だと判断されて削除されてしまうんです。
もちろん、こちらから意図を説明すれば修正してくれます。
でも、一般的な文章の要約では、書き手本人が横から「そこが重要なんです!」なんて説明することはありません。
AIは文章の流れや表現から感情や意図を推測することもできます。
ただ、それが必ず書き手の本心と一致するとは限らないでしょう。
ましてや、要約された文章しか読まない人は、削られた部分に何が書かれていたのかすら知りません。
これって、冒頭に書いた小学校の国語の授業とは、ある意味で正反対のことをしているようにも感じます。
昔は文章を読んで、書かれていない感情や理由まで考える訓練をしていました。
今は文章を読まずに、AIが抜き出した結論だけを受け取る。
それで本当に同じ情報を得られているんでしょうかね?
タイパを求めすぎた結果が「ドパガキ」?
最近、「ドパガキ」という言葉を見かけるようになりました。
ドーパミン中毒のガキを略した言葉で、短時間で次々と刺激や快感を求める状態を指して使われているようです。
ショート動画を次々とスクロールする。
面白くなければ数秒で次の動画へ。
動画は倍速で視聴して、音楽はイントロを飛ばしてサビから聴く。
文章は結論だけ読んで、長ければAIに要約させる。
もちろん、これらの行動がすべてドーパミン中毒というわけではありません。
単純に時間を有効活用しているだけの人もいるでしょう。
ただ、何でもかんでも「早く結果を知りたい」「無駄な時間を使いたくない」と考えるようになっているとしたら、ちょっと気になるところです。
例えば、映画の冒頭30分。
登場人物の性格や人間関係、過去の出来事などが描かれている部分を「展開が遅い」と飛ばしてしまったらどうでしょう?
確かに最後の結末は分かるかもしれません。
でも、そこに至るまでの過程を知らなければ、同じ結末を見ても感じ方は違ってくると思うんです。
音楽だって同じです。
イントロから少しずつ盛り上がって、サビで一気に感情が動く。
そういう構成そのものを楽しむ曲もありますよね。
文章だって、結論だけを知ることが目的なら要約で十分でしょう。
でも、書き手の考え方や感情の変化まで知ろうと思えば、途中の文章にも意味があるはずです。
結果だけを最短距離で手に入れることに慣れすぎて、結果に至るまでの過程を楽しめなくなっているとしたら、ちょっともったいない気がします。
もっとも、こんなことを長々と書いている時点で、ドパ中の人にはとっくに読むのをやめられているんでしょうけど(笑)
そもそも時間は誰にとっても24時間
とはいえ、タイパを重視する考え方も理解できます。
誰にとっても1日は24時間しかありません。
仕事をして、食事をして、睡眠を取って。
残った時間で趣味や娯楽を楽しもうと思えば、時間はいくらあっても足りません。
私のように毎日ブログを書いている人間からすれば、書く時間だけでも結構なものです。
その時間を別のことに使えば、もっと有意義なことができるのかもしれません。
読む側だって同じです。
2,000文字の記事をじっくり読むより、AIに要約させて30秒で内容を理解した方が効率的でしょう。
ただ、その効率化によって生まれた時間を、結局は次のショート動画を見ることに使っているとしたら・・・。
何のために時間を節約しているんでしょうね?
もちろん、娯楽に時間を使うことが悪いわけではありません。
私だって無駄だと思われるようなことに、かなりの時間を使っています。
でも、時間を節約すること自体が目的になってしまうと、本末転倒のような気もするんですよね。
私自身は昔ながらの楽しみ方が好き
私の場合、長い動画でも基本的には等倍速度で見ています。
映画やドラマも、途中を飛ばして結末だけ知りたいとは思いません。
音楽も昔ながらのイントロがある曲が好きですし、AIに文章を要約してもらうこともほとんどありません。
むしろ、AIとのやり取りでは、こちらが3行程度の質問をしただけなのに、50行くらいの返答が来ることもあります。
それでも基本的には全部読んでいます。
そして、その返答を読んでいるうちに、
「あっ、ここも言いたい」
「いや、こっちの説明もちょっと違う」
「そういえば、これも確認しておかないと」
なんて考えていると、最初の方に書かれていた内容を忘れてしまうことすらあります(笑)
効率が良いとは言えませんよね。
ただ、そうやって文章を読みながら自分の考えを整理したり、相手の意図を考えたりすること自体にも意味があると思っています。
もちろん、私自身が既に現代っ子というより、老害に近い側に入ってきているのかもしれません。
田舎者ということもあって、物事の考え方や価値観が古いところもあるでしょう。
でも、だからといって新しいものを否定したいわけではありません。
実際、AIを使っていろんなことに挑戦していますし、便利なものは積極的に取り入れたいと思っています。
ただ、便利なものに頼ることで、今までできていたことができなくなるのは嫌なんですよね。
今、小学校の国語のテストを受けたら?
最初の話に戻ります。
小学校の国語のテスト。
「この時の主人公は、なぜこのような行動を取ったのでしょう?」
「この言葉を聞いた○○さんは、どんな気持ちだったでしょう?」
こうした問題を解くためには、文章を最初から読んで、登場人物の置かれた状況や感情の変化を理解する必要があります。
答えが直接書かれていないからこそ、自分で考えなければいけません。
でも、もし今の時代に同じ問題を出したらどうなるんでしょう?
長文を読むのが面倒だから、AIに要約してもらう。
要約された文章から答えを探す。
それでも分からなければ、問題文そのものをAIに入力して答えを出してもらう。
これでは、国語のテストで何を学ぼうとしていたのか分からなくなってしまいますよね。
もちろん、AIを使うことが悪いわけではありません。
大切なのは、自分で読み解く能力を持ったうえでAIを使うのか、それとも自分では読み解けないからAIに頼るのかという違いだと思います。
昔ながらの考え方が正しいのか、タイパを重視する現代の考え方が正しいのか。
どちらが良いのかなんて分かりませんし、そもそも正解がある話でもないでしょう。
ただ、短い文章しか読めない人より、長い文章も読めるけど必要に応じて要約を使う人の方が、選択肢は多いはずです。
動画だって、等倍で楽しむこともできるし、必要なら倍速で見ることもできる。
新しいものを取り入れることと、昔から持っていた能力を捨てることは別の話ですからね。
私としては、どんな形にも対応できるだけの能力は持っていたいと思っています。
さて、ここまで読んでくださった方。
かなりの長文になってしまいましたけど、最後まで読んでもらえたでしょうか?
それとも、AIに要約してもらいました?
もし要約だけ読んで「この記事の筆者は何を一番伝えたかったのでしょう?」なんて国語のテストが出たら、ちゃんと答えられるんでしょうかね?(笑)