自助・公助だけじゃ限界。共助もある環境

最近の世の中って、人との関わりをなるべく少なくする方向に進んでいるように感じます。

持ち家は不要で賃貸でいい。
仕事も条件が良いところがあればサッサと転職。
地域の自治会費なんてもったいないから払わない。
子供会には入らない。PTAにも参加したくない。

もちろん、それぞれにちゃんと理由があります。

自治会の行事に参加すれば休日が潰れますし、PTAだって時間を取られます。会社だって「長く勤めたから」というだけで待遇が良くなる時代ではありません。

「自分にメリットが無いものに、お金や時間を使いたくない」

そう考えるのも分かります。

幸いというのか、私の住んでいるところは田舎です。

ですので、地域との関わりを完全に断って生活するというのはなかなか難しく、私自身も必要最低限かもしれませんが地域に関わっています。

昔は正直、

「面倒だな~」

と思うこともありました。

でも最近、こういう人とのつながりって、目先の損得だけで判断していいものなのかな?と思うようになりました。

自助と公助だけで本当に足りるのか

週明け、仕事に行ってニュースをチェックしていました。

その中に、殺人事件でお子さんを亡くされた方の記事がありました。

突然家族を失う。

そんな状況で、それまでと同じように働いて、生活して、冷静にお金のことまで考えるなんて難しいでしょう。

自助という意味では、それまでの蓄えなどを使って生活することになります。

公助として一時金のような支援もあったそうです。

ただ、それですべてが解決するわけではありません。

むしろ裁判など公の手続きによって、被害者側であるにもかかわらず、事件と何度も向き合わなければならない苦しさもあったようです。

そんな中で大きな助けになったのが、これまで働いてきた会社からの支援だったそうです。

国でも行政でもありません。

これまで自分が関わってきた人たちです。

これを見て、

「あぁ、これが共助なんだろうな」

と思いました。

災害ではもっと分かりやすい

大きな災害が起きた時も同じです。

熊本地震のような大規模災害になると、自分だけではなく周囲のみんなが被災しています。

当然、最初は自分たちで何とかする「自助」が中心になります。

そして行政などによる「公助」もあります。

しかし被災者が何万人、何十万人といる状況で、一人ひとりに行政が付きっきりになることなんて不可能です。

支援を受けるために罹災証明書を取ったり、さまざまな手続きをしたりと、ただでさえ大変な状況でさらに動かなければならないこともあります。

一方で、現場ではもっと単純に、

「人手が欲しい」

という場面が出てきます。

倒れた物を動かしたい。
泥をかき出したい。
水が出ない。
住む場所がない。
車が使えない。

お金を渡されただけでは、今すぐ解決できないことって結構あるんですよね。

そんな時に助けになるのが、親戚だったり、近所の人だったり、友人だったり、仕事仲間だったりします。

私も水害で「共助」を見たことがある

私の住んでいる地域でも、何年か前に水害がありました。

知っている人の自宅が浸水して、室内まで大量の土砂混じりの水が入り込んでしまいました。

家族だけでは、とても対処できません。

親戚も集まっていましたが、それでも全然人手が足りない。

そこに近所の人や仕事関係の仲間など、たくさんの人が集まってきました。

私も一緒に片付けをしました。

これが、とんでもない重労働なんですよね。

水を吸った物は何でも重い。泥はどこにでも入り込んでいる。運び出しても運び出しても終わらない。

何人もの人間が集まって、完全な人海戦術です。

それでも大変でした。

家族だけでやっていたら、

「これ、一カ月やっても終わったか?」

と思うくらいの状況でした。

もちろん、公助もありました。

仮設住宅を用意してもらったり、補助金などの支援もあったそうです。

それらも間違いなく必要です。

ただ、後から聞いた話では、

「自分たちだけでも無理だったし、行政の支援だけでもどうにもならなかった」

ということでした。

実際に泥だらけになって家財を運び出してくれる人。

スコップを持ってきてくれる人。

軽トラックを出してくれる人。

飲み物や食べ物を持ってきてくれる人。

そういう「人」の力が必要だったんです。

お金だけでは解決できないことがある

ものすごいお金持ちなら、自助だけでもかなりのことが解決できるのかもしれません。

家がダメになればホテルに泊まり、業者を何十人も雇って片付けてもらい、必要な物は全部買い直す。

それができるだけのお金があれば確かに強い。

公助も無くなることはないでしょう。

災害なら避難所や仮設住宅、補助金など、行政にしかできない支援があります。

ただ、自助にも公助にも限界があります。

特に「今、目の前で困っていること」を解決するには、制度よりも人が必要になる場面があります。

その隙間を埋めてくれるのが「共助」なんじゃないでしょうか。

人間関係は効率が悪い

人間関係って、ものすごく効率が悪いんですよね。

自治会に参加したからといって給料が出るわけではありません。

近所の人と話をしたから資産が増えるわけでもありません。

地域の行事に参加すれば休日が潰れることだってあります。

普段だけを見れば、

「こんなの無くても生活できるじゃん」

となるのも分かります。

実際、ほとんどの日は無くても困りません。

でも保険だってそうですよね。

毎月お金を払っていても、事故も病気も無ければ何も返ってきません。

だからといって、

「使わなかったから全部無駄だった」

とは普通は考えません。

人とのつながりも、それに少し似ている気がします。

ただし保険と違うのは、お金を払えば自動的に手に入るものではないこと。

自分も誰かが困った時には手を貸す。

だから自分が困った時には、誰かが手を貸してくれるかもしれない。

そうやって時間をかけて作っていくものなのでしょう。

「誰とも関わらなくていい」は本当に自由なのか

最近では、共助を感じられる田舎や昔ながらの団地などへ、あえて引っ越す人も出てきているそうです。

都会の「隣に誰が住んでいるのかも知らない」という気楽さも、それはそれで大きなメリットです。

人間関係が濃すぎれば、当然面倒なこともあります。

ですので、

「田舎の濃い人間関係こそ正義!」

なんて言うつもりはありません。

ただ、人間関係を全部「面倒」「時間の無駄」「お金にならない」と切り捨てていった先に、本当に暮らしやすい社会があるのかな?とは思います。

平常時には一人で何でもできるように見えても、病気、事故、災害、家族の不幸など、自分だけではどうにもできない日は突然やってきます。

その時になって初めて、

「助けてくれる人が誰もいない」

と気付いても、そこから人間関係を作るのは難しいでしょう。

自分で備える「自助」。

行政や社会制度に助けてもらう「公助」。

そして、周囲の人と助け合う「共助」。

どれか一つだけあればいいのではなく、三つとも必要なんでしょうね。

特に「共助」は、いざという時に役所へ申請して手に入れられるものではありません。

普段の何でもない付き合いの積み重ねで作られていくものです。

そう考えると、自治会だったり、近所付き合いだったり、会社の人間関係だったり、昔からの友人だったり。

面倒に感じることがあったとしても、全部を切り捨ててしまうのは少し怖い。

本当に困った時、最後に助けてくれるのは「制度」ではなく、「お前、大丈夫か?」と言って来てくれる人なのかもしれません。

そんな人が周りにいる環境。

そして自分自身も、誰かにとってそういう人でいられる環境。

目先のお金には換算できませんが、これも一つの大切な「資産」なんじゃないでしょうか。

投稿者: クロス

約20年のインテリア(内装工事)の実績から、住宅購入者のお悩み解決できたらいいなと思いサイトを立ち上げました。 これから住宅を購入検討されてる方へのアドバイスや、賃貸物件でのお役立ち情報も出せたらいいなと思っています。最近プライベートな記事も多いですが

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