昨日の「頑張っているのに評価されない」という記事の続編です。
今日はもう少し踏み込んで、
「頑張ること」と「仕事が出来ること」は同じなのか?
というテーマで考えてみます。
同じ条件の二つの現場
予算の規模感・建物の仕様・全体工期。
ほぼ同じ条件の現場が二つあったとします。
現場A
・17時終業
・片付け、消灯施錠確認まできっちり
・18時には監督も退場
・工程は大きな遅れなし
現場B
・19時になってもどこかの業者が作業
・夜中まで現場事務所で書類整理
・工程は大幅遅れ
仕上げ業者として入る頃には、すでに差が明確に出ています。
スタート時点から淡々と進めてきたA。
序盤は余裕があるからとペースを上げなかった可能性のあるB。
学生時代のテストで例えるなら、
- A:日頃から毎日コツコツ勉強
- B:テスト前に徹夜で詰め込み
テストは自己責任ですが、建設業は違います。
一人の遅れが、他社に波及する。
ここが決定的に違います。
「遅くまで頑張ってるね~」の違和感
Bの現場にはよくこんな言葉が飛びます。
「遅くまで頑張ってるね~」
確かに時間は使っています。
体力も消耗しています。
でも比較対象がある場合、評価は変わります。
「Aは普通に終われるのに、なぜBは終わらないのか?」
この瞬間に、
頑張っているかどうかではなく、成果で評価される世界になります。
年商1億の二人
別の角度から見てみましょう。
- 毎日定時帰りで年商1億
- 毎日残業・休日出勤で年商1億
どちらが「仕事が出来る人」でしょうか?
答えは明白です。
時間効率で見れば、前者の圧勝。
ところが現行の労働基準法の枠内では、
残業代や休日手当が加算されるため、
後者の方が給与が高くなる可能性すらある。
これでは本末転倒です。
本当に評価されるべき人
会社経営の視点で考えると、
- 出来る人には高い基本給
- 出来ない人は残業しても逆転できない構造
こうしなければ合理性がありません。
出来る人が同じ時間働けば、
1億が1.5億になる可能性すらあります。
しかも、出来る人は効率改善を続けるため、
1.5億でも定時で終わらせる仕組みを作るかもしれません。
一方、効率が悪い人は
時間を延ばしても上限が見えてきます。
「頑張る」は評価軸にならない時代
現代の法制度下では、
長時間働けること=評価対象にはならない
会社としては本音では「長く働ける人材」は欲しい。
でもやらせればブラック認定。
だからこそ、
頑張る ≠ 仕事が出来る
頑張らない ≠ 仕事が出来ない
という現実が浮き彫りになります。
理想形はこうでしょう。
「頑張っていないように見えるのに、結果は出している人」
世の中が求めるのは、
汗の量ではなく、成果の質。
成果主義への流れ
現在、労働制度についても見直しの議論が進んでいます。
例えば、成果主義の強化を主張しているのが
高市早苗氏です。
成果を基準に評価する社会になれば、
- 長時間=努力
- 残業=正義
という価値観は崩れていきます。
学生世代にも「成果を出す能力」が求められる方向へ進む可能性は十分あります。
建設業で求められる人材とは
建設業はチーム戦です。
- 段取りが組める人
- 先読みが出来る人
- 他業種の動きを理解できる人
- 無駄な待ち時間を発生させない人
これらは「長時間働ける人」とは別物です。
むしろ逆。
早く帰れる人ほど、全体最適を理解している。
最後に
「頑張っているのに評価されない」という相談は多いです。
でも冷静に分解すると、
- 頑張っている“時間”を評価してほしいのか
- 頑張っている“成果”を評価してほしいのか
ここが曖昧な場合が多い。
これからの時代、
評価されるのは間違いなく後者です。
汗の量より、価値の量。
あなたの頑張りは、
時間に向いていますか?成果に向いていますか?
一度立ち止まって考えてみる価値はありそうです。