私の家の周りは、遅物のお米を育てている田んぼが多くあります。
この時期になると、ようやく稲刈りが始まります。
稲を刈った後のあの香り——乾いた藁の匂いと、刈り取られたばかりの稲の青臭さが混ざった、あの独特の季節の香り。
都会ではなかなか感じることのない、田舎ならではの秋の風物詩です。
そんな香りに包まれる中、ふとニュースを見れば「新米価格の上昇」が報じられています。
数年前までは“5キロ2,000円台”というのがひとつの目安のように語られていましたが、今ではその価格帯は政府放出の備蓄米や古米が中心。
一時期下がった新米は3,000円台後半からでしたが、最近ではまた4,000円を超える銘柄米が当たり前になってきました。
確かに、政府統計では「集荷量は需要を上回っている」とされています。
しかし、実際の価格推移を見ると「本当に足りているのか?」と疑いたくなるのが正直なところです。
それもそのはず、いま農業の現場では“生産コストの高止まり”と“担い手不足”という二重苦に直面しています。
肥料・燃料・農機具の価格は依然として高く、電気代や輸送費も上昇したまま。
「農家は儲からない」と言われて久しいですが、実際には“やればやるほど赤字に近づく”という声も少なくありません。
それでもなんとか支えてきたのが、動ける高齢者たちです。
しかし、その世代が次第に現場を離れ、次に続く“動ける高齢者予備軍”世代は、これまでに農業に関与せず過ごしてきた人がほとんど。
つまり、農業という産業を支えてきた“現場の担い手”がごっそり抜ける時期が近づいているのです。
これでは「需要を満たす」どころか、「収穫を終わらせることすら難しくなる」地域も出てくるでしょう。
今後、農業を維持していくためには「賃金を上げてでも人を確保する」ことが避けられません。
ただし、それは生産コストのさらなる上昇を意味します。
結果として、私たちが買うお米の価格も上がらざるを得ない。
“食料自給率の確保”が叫ばれて久しいですが、現実には“作る人がいない”という根本的な課題が進行中なのです。
私のように田舎で暮らしていると、季節の香りに包まれながら「今年も実ったな」と感じられる瞬間があります。
しかし、その香りの裏側では、次第に担い手が減っていく現実があります。
この香りを10年後、20年後も感じられる生活を続けるためには、
もっと農業に関心を持つ人が増える仕組みづくり、そして地域で支え合う体制が必要なのかもしれません。
秋の風に乗って運ばれてくる“稲刈りの香り”。
それは豊穣の象徴であると同時に、今の日本が抱える「農業の未来への警鐘」でもあるのかもしれません。