休みなんでいろんなプラットフォームで動画視聴していました。今日の話題はABEMAの中の報道企画アベプラからになります。
テーマは「DXの意味分かってますか?安易なカタカナ語がデジタル化を阻む?IT横文字文化」というお話をされていました。
私自身も知ってるカタカナ語は入れがちですし、現にこのブログの中でもインボイスだのDAOだのSDG’sだの使っています。今日のアッコにおまかせを見ても和田アキ子さんに「WBCってなんの略か分かりますか?」なんてクイズされていましたし、それくらいはわかりますよと言われていましたが、普段から野球になじみのない方にはさっぱり何の話か分からないかったりもしますよね。
カタカナ語がダメだから日本語にしましょうとしてWBC(WORLD BASEBALL CLASSIC)を変換してしまうと「伝統的な世界の野球行事」みたいなことになっちゃいましすし、DAO(Decentralized Autonomous Organization)なんてもっとひどくて「分散型自律組織」と言われても意味分かりませんよね。
問題はカタカナ語であろうが日本語であろうが【自分がその言葉を知りたいか?聞いてでも調べて使いたいか?】という部分が大事なのではと思います。そして知りたい言葉であれば自分で調べてみますし、それでも分からなければ「人に聞く」ということをします。
問題はこの「人に聞く」ということが出来ない人が多くなってきたということでしょう。私自身がある程度調べることが出来る方だと思うので聞く機会が少ないですが、会社の上司なんかは分からないことがあればすぐ私に聞いてきたりします。特にパソコンの使い方であったりすると、聞いた方が早いというのと失敗したときのリスクを考えて聞いた方が良いという判断もあるのでしょう。
得意先の、特にここ数年で入社された人というのは用語にしても現場にしても分からないことがあっても「聞く」ということが出来ない人がかなり多くなってきたなと感じます。
何人かには「なんで分からないのに聞かないの?」って聞いたことがあるのですが、「わかんないけど自分に関係なさそうだから、まいっかと」・「知らなくてもだれか知ってるから大丈夫じゃない?」・「こんなの知らないって言うの恥ずかしい」・「分からないって言ったら怒られそう」なんて声が聞こえてきました。
まず、「自分には関係なさそうだから」の人。建設会社の新人さんで現場での話をしているところでの用語の話でした。現場で話をしているのに「関係なさそう」って自己解釈するのどうなの?って思っちゃいましたが、他社の社員の事なのであまり突っ込んで話をしませんでした。
「知らなくても誰かが知ってる」と言った子も、基本的には間違いではないのですが、その「知らないことを知っている人に聞く」という事をしてやっと間違いではないになるのであって、結局この子も「誰かが知ってるから私には関係ない」と無責任に話を聞き流しているだけでした。
「こんなの知らないって言うのが恥ずかしい」の子に関しては知らないって言うより知らないことの方が余程恥ずかしいよって伝えましたし、昔から【聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥】なんて言葉があるくらい知らないことが将来にわたって恥ずかしいから頑張って聞く練習した方がいいよって話しました。
「分からないって言ったら怒られそう」というのに関しては、今のハラスメントに厳しい昨今ですと無意味に怒られることもあまりないでしょう。むしろ聞かない方が怒られそう。言葉の裏には自分でやりたくないが隠れているのは気づいてないふりをしました。
横文字であれ、特定の業界用語であれ、「知る・理解する・経験する・教えてもらう」といった自発的な動きを出来る人と「やりたくない・知らなくていい・分からなくてもOK・聞きたくない」みたいな人任せの人で分かれてくるのかな?と思います。
この人任せ派の人達が、給料や休みなんかにだけ声が大きくなって自己主張激しかったりするのはどうにかならないですかね・・・。
話が逸れましたが、分からないことをほったらかしにせずきちんと「聞く」という事が出来るのも才能なのかな~っと思いました。


